SWEET 19 MEMORIES

Q. 引退おめでとうございます!まずは、みなさんへメッセージをどうぞ

練習生だった2010年から、最後の2年間は所属チームはありませんでしたが今シーズン限りで選手を引退します。プロバスケットボール選手としての12年間はとても幸せでした。

まずは今まで、徳永林太郎という1人の選手を応援してくれたみなさん、本当にありがとうございました。

最後の旅に、もう少しだけご一緒ください。

Q.引退を決めた理由はありますか?

自分の体に、よく頑張ったね、ありがとう!

と心の底から思えたからです。

高校卒業して4年間バスケをしてなくて、そこから急に体を動かし続け、今の今まで、もう少し頑張ってくれ、まだ走ってくれ…とずっとお願いしていました。

Q.後悔はありますか?

んー…いや…まぁ、後悔はないですよ~はい…でもまだプレーしていたかったですね(笑)

40歳で若手をオールコートでディフェンスして、スティールする。汗が額から滴り落ちているところまでイメージしていました。

Q.思い出の試合は?

いっぱいありますね~

[福岡]bj時代で琉球が開幕15連勝してて、その連勝をストップしてMVPをもらった試合

[京都]1万人入る有明コロシアムの3位決定の秋田戦であきさん(竹野選手)の頭上を越える3ポイントを決めた試合

[香川]チームの成績は良くなかったけど、最終戦で強豪熊本にオーバータイムで勝って、その中で、しゅーと(溝口選手)にコーナー逆転3ポイントをアシストしてみんなが一体化した試合

[秋田]4000人を超えるCNAアリーナ。秋田県民になって一緒に唄った県民歌。会場もそうだけど、僕の心も深く震えたホーム初戦

[佐賀]2度の大怪我から復帰のチャンスをくれた、まだそのときは契約もしていないお試し選手だったけど、選手の心を甦らせてくれた福岡でのプレシーズンゲーム

Q.忘れられない試合が多いですね。徳永選手のチームへの想いが強かったのが伝わります。逆に、辛かったときはありますか?

戦績がついてこなかったり、プレーがうまくいかなかったり、人間関係で悩んだり、辛いと思った時もありました。それでも応援してくれるみんなが手をとって大きな1つの線になって僕を支えてくれました。だから、”辛い”ことも”幸せ”として感じとれました。

Q.ミニバスから高校まで県大会すらいけていない、そして、高校卒業後は4年もバスケから遠ざかっていたのに、なぜプロ選手を目指したのですか?

今まで口にしなかった、物語がそこにはあります。

22歳の時に、家族の前で「プロ選手を目指す!」と宣言しました。バスケは4年ほどしていなかったですから、急に。いきなり。でした。

それはある1人が僕をその気持ちへと導いてくれました…。

Q.そのある1人とは誰ですか?

妹の由布子(ゆうこ)ですね。

Q.妹の由布子さんがプロ選手への気持ちにさせてくれたと?

はい。

由布子との別れは突然でした…事故で死んでしまったんです。

深い…深くて何も見えない、つらく、言葉にとうていできない出来事でした。朝方、街の中にある病院の前で1人大声で泣いていました。涙は枯れることないんだって思いました。

ただ涙と思い出と、「…もっと由布子にしてあげれることいっぱいあったなって…してあげたい…できない、もう会えないの?…」って。

時間だけが過ぎていき、支えてくれる友達の声が心の中で繰り返されているだけのそんな状況でした。

Q.そんな過去があったんですね。それがプロ選手とどう繋がったのですか?

何をするにしても気持ちがついていかない毎日が続きました。妹のいない世界がただそこにはあるだけ、でした。

ただ、由布子が「りんたろ兄ちゃん、プロ選手、目指さんでいいと?」

って、想いを伝えてくれたんだって…。そう思わないと、あの頃の僕は現実をとうてい受け入れられませんでした。

プロ選手になるなんて、小学生の頃に描いた夢であり、自分の心の奥底の引出しにしまっていました、から。

そこが全ての始まりです。

Q. 徳永選手にとって由布子さんが原点であり、諦めていた夢の原動力になったということですね?

そうですね、僕の夢の50%は由布子のためです。まぁでも、彼女のためと思ってやっていたことが結局は自分のためだったんですけどね。

家族にプロ選手になるという宣言をした後は、2年という期限と覚悟を持って、”やれることは全てやる”をモットーに挑戦し続けました。

そこからの道のりはとても大変でしたけどね。

Q. プロ選手になれて由布子さんも喜んでくれたでしょうね?

天国で嬉しがってるといいな。あと、僕は4人兄弟の三男で、妹が待望の女の子だったんですよね。両親はすごく可愛がっていましたし、亡くなって以来、毎日泣いていました。子に先立たれることほど、辛いことはありません。その姿を見る度に胸がしめつけられる思いでした。でも、プロになって、ホームもアウェーも試合に来てくれて、そこでもまた両親は泣いてるんですけど…今まで悲しくて泣いていたのが、嬉し泣きに変わった時が1番、プロ選手になれてよかったと思える瞬間でした。

Q. 家族への想いが強いんですね?

自分のために何かすると限界がありますけど、人のために何かしようとすると無限に力が出るんですよね。

だから、バスケ選手を何のためにしてますか?の質問に対しては

「50%は家族や自分のため、残りは応援してくれる人、僕の気持ちを感じてくれた人のため」といつもこたえます。

応援してくれる人は100人にも1000人にもそれ以上にもなるから無敵ですよね(笑)

Q.現役時代はずっと背番号は19番でした。何か意味があるんですか?

トクナガだから、「10(ト)と9(ク)なの?」とブースターの方から言われたことがあって、お、それいいなと思って、まぁそんな感じです(笑)といつもこたえていましたが、実はあります。

妹、由布子は二十歳になる直前に亡くなりました。人によっては、短い人生だなと思う方もいるかもしれませんが、彼女が生きた人生というのは彼女にとっては長く濃い人生だったと思います。その”由布子が生きた19年間がここには確かに強くあった”ことを証明したくて、背中に刻みました。

だから、いつも一緒だったんですよ。

どんな時でも力をかしてくれてました。

1人の下手くそなバスケットボール選手が強い気持ちでいれたのも、彼女のおかげでした。

Q.ブースターに伝えたかった?

選手それぞれ、みんなストーリーを持っていますから、話をするのはあまりしたくなかったのかな。あとはどうですかね、話すことでどんどん過去になっていくのが怖かったのかもしれないです。みなさんには引退するシーズンの前に伝える予定でいましたが…。でも。プレーで伝わっていたらいいのかなと。

こんな選手もいるんだなぁ、って。思っていただければ。

秘密にしていたわけではないですが、この想いも最後にみなさんに伝えることができてよかったです。

Q.最後の航海も終盤になってきました。まずはこれから夢や希望を持つ子どもたちへの思い、伝えたいことはありますか?

異色の経歴を持つ男。こう何かの雑誌に書いてあって…気に入っているんですけど笑

僕の経歴でもプロ選手として、最高の舞台で活躍することができました。どんな夢であろうと、それを叶えるために毎日、ベストを尽くしていけば、周りの人の支えがあって、近くまで連れていってくれます。どんな人でも、です。その見える景色からしっかり掴むには、最後は自分自身です。大きな覚悟や強い意志、責任、恩返し、人への想い、感謝。たくさんのものをエネルギーに変えて、自分を信じ続け、今、できるベストを尽くしてほしい。

Q.この想いを感じて、夢に向かう子どもたちがでてくると嬉しいですね?

幸せですね。実際、佐賀バルーナーズでチームメイトだった、今はB1で活躍している渋田怜音選手が、「僕、小学生の頃、岩手ビックブルズの試合を観に行って、対戦相手のりんさんにサインもらいましたよ。実家にそれがまだありますよ」って。

驚きとともに、少なからず影響力があるのだと強く感じましたね笑

Q.ではどんな時も応援してくれたブースターのみなさんに届けたい想いをどうぞ。

これを言うと、最後感ありますね…。

なんか、急に寂しくなってきました。

えーっと、、はい、、みなさん…

いや、みんな!ハッピーかい??

僕は、超絶幸せ者です!だって、プロ選手になるなんて、なれるなんて、そのみちは絶対になかった。でもその”未知”を”道”にかえて選手になれて、これだけの人が応援してくれて、1人の選手のプレーで心動いて、ワクワクしたりドキドキしたり、少しでも多くハッピーを届けることができた、こんな素敵なことはありません。

まだまだたくさんいろんなことをこれからしていきたい。子どもたちにバスケを伝えることもしていきたい。子どもたちにバスケを教えるコーチにも、コーチングを学んで、より良い環境を子どもたちのためにつくってほしい。スポーツを通じてたくさんの想いを感じてほしい。Bリーグにも繋がっていたいですし、選手をいろんな形でサポートしたい。

プロ選手としては引退しますが、

みなさんにワクワク、ドキドキ、そして、幸せを提供し続けていきたいです。

またお会いできたなら、その時は少しだけでいいので選手の頃の思い出話をしてください。そしたら、彼もニヤニヤして嬉しがることでしょう。

共に人生を謳歌していきましょう!

こんな引退インタビューもあっていいと思います。全部、このインタビューも1人でつくった自作自演なんですから笑

みなさんに伝えたいことを綴らせて頂くのはこの方法が1番だと考えました。

本当にありがとうございました。

そして、家族のみんな、ここまでずっとチャレンジを続けていけたのもあなたたちのお陰です。第一の人生、愛情をたくさん受けました。ありがとう。

もう一度言いますね、プロバスケ選手でいれて、とても幸せでした。

あなたと出逢えて本当によかった

感謝とたくさんの愛を込めて

#19 徳永 林太郎

Posted on by 徳永林太郎 in BLOG

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